キリスト教禁止令(2/2)家康の禁教令

キリスト教禁止令

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記事カテゴリ
事件簿
事件名
キリスト教禁止令(1612年)
場所
東京都
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江戸城

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家康がキリスト教禁止令を出した理由は秀吉の時代からのキリスト教国による日本植民地化の懸念、キリスト教徒の数が増えるにつれ、キリスト教徒たちが一揆化する可能性が出てきたこと、江戸幕府の統制下で南蛮貿易を認め続けると、大名の力が強くなり幕府に挑むものが出てくる可能性があったことなどがあげられます。

キリスト教を禁止するとスペインとの南蛮貿易がストップして困るのでは…?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、江戸時代にはスペインやポルトガルのように南蛮貿易とキリスト教布教をセットにしたカトリック教国以外との貿易が盛んになりつつありました。それがプロテスタントのオランダです。

もともと家康はオランダと縁がありました。慶長5年(1600年)3月、日本に初のオランダ船「リーフデ号」が漂着します。関ヶ原の戦い直前の豊臣政権時代、リーフデ号の検問などを担当したのが家康でした。さらに生き残った乗組員たちの処刑を求めるイエズス会(カトリック)の宣教師達から彼らを守り、リーフデ号を浦賀に移し一部の乗組員を家臣にしました。

有名なのが朱印状を与えられて貿易で活躍したヤン・ヨーステンで、八重洲の名の由来になったことから東京駅丸の内駅前広場に銅像があります。また、英国人のウィリアム・アダムス(三浦按針)もリーフデ号に乗船していました。按針は欧州の政治や宗教などの最新情報を家康に伝えて重用されるようになり、砲術・造船術・航海術などの知識を幕府に伝え、外交顧問としても活躍。伊東で日本初の西洋式帆船を建造したことでも知られています。

さらに家康はリーフデ号が積んでいた火縄銃や火薬などを関ヶ原の戦いに利用したという話も伝わっており、江戸幕府以前からオランダに縁があったのです。そんな家康にオランダ側は貿易を持ちかけますが、プロテスタント国のオランダは布教と貿易を分けて考えていました。キリスト教を受け入れなくても貿易ができるわけですから、岡本大八事件のこともあり、そんな国があれば乗り換えたい、と思うのは当然のことだと思います。ちなみに同じくプロテスタントの英国もオランダに続いて日本と貿易を開始しています。

家康によるキリスト教禁止令の内容は?

では家康によるキリスト教禁教令はどういうものだったのでしょうか。慶長17年(1612年)3月21日に出されたものは江戸や京都、駿府などの幕府の直轄地を対象に、教会の破壊・キリスト教の布教禁止を命じたものでした。さらに家臣団のキリスト教徒達にも棄教を迫り、拒絶したものは改易しています。

有名な例が「ジュリアおたあ」として知られる朝鮮出身の侍女で、信仰を捨てることを拒絶したため、駿府城から追放され伊豆大島に流されました。ちなみにこの時、家康(70歳)の側室にならないかと求められていたそうです。家康は流刑後もジュリアおたあに「自らに従えば赦免する」とアプローチし続け、それをジュリアは拒絶。このため流刑地は新島や神津島へと次々に変わり、最終的には神津島でその生涯を閉じたとされています(諸説あり)。個人的にはうわっと思ってしまうエピソードです。

その後、家康は慶長18年12月19日(1614年1月28日)、金地院崇伝に命じて「伴天連追放之文」を書かせます。崇殿は武家諸法度を起草したことで知られる家康の懐刀でした。そんな崇伝が一日で書いた文案を家康は承認し、徳川秀忠に送って捺印させ、全国の大名に12月23日に通達。あっという間のスピードでした。

内容としては、キリスト教を「神仏を惑わす邪宗」と位置づけるとともに、「キリスト教は日本を改変し、侵略する手段」と主張。禁止しないと「大きな災いの兆しになる」「国家の禍になる」「天の災いとなる」と数度にわたり強い言葉で訴えています。

この禁教令により、長崎や京都の教会は破壊されます。さらに慶長19年(1614年)9月には宣教師やキリスト教徒達約400名がマカオやマニラに追放されました。このなかにキリシタン大名として知られる高山右近や内藤如安がいたことは有名です。

段階を分けた禁教令によりキリスト教徒は姿を消した…とはいかず、信徒たちはこの時点では処刑されることなく見逃されていました。宣教師側もひそかに日本に戻ってくるなどして布教を秘密裏に続けていたのです。幕府が徹底的に対策しなかったのは、まだキリスト教国との南蛮貿易の影響があったからだとされています。

元和2年(1616年)に家康がこの世を去ったのち、第2代将軍の徳川秀忠は「二港制限令」を出してキリスト教禁止の姿勢を強調しました。さらに寛永14年(1637年)10月から約4か月間にわたって起きたキリスト教徒たちによる「島原の乱」以降、江戸幕府はさらに布教の禁止とキリスト教徒への弾圧を徹底していくのです。

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栗本 奈央子
執筆者 (ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。
日本の城フォトコンテスト.03