佐和山城と彦根城敗者の残影 ― 徹底的に消し去られた「佐和山城」と、再生の「彦根城」
- [執筆者] 日本の旅侍編集部(メディア)
国宝・彦根城。その輝かしい姿の裏に、かつて『三成に過ぎたるもの』と称えられながらも、歴史の闇に葬り去られた巨城があったことをご存知でしょうか。


滋賀県彦根市にそびえる彦根城を訪れると、多くの人がまずその美しさに目を奪われる。
白い天守、静かな堀、整えられた石垣。
日本を代表する名城の一つとして知られ、現在は国宝に指定されている。
しかし、この城にはもう一つの物語がある。
それは、この城の足元に埋められた「敗者の記憶」である。
彦根城が築かれる以前、この地には別の城が存在していた。
それが佐和山城。
そしてその城の主は、関ヶ原の戦いで敗れた男、石田三成だった。
三成に過ぎたるものが二つあり
佐和山城は、琵琶湖を望む山に築かれた要害の城だった。
もともとは南北朝期から存在する城だが、豊臣政権の時代に大きく整備される。
その城主となったのが石田三成である。
三成は、豊臣秀吉の政権を支えた官僚として知られる人物だ。
しかし同時に、政治家として多くの敵を作った人物でもあった。
そんな三成の城を評して、当時このような言葉が語られたという。
「三成に過ぎたるものが二つあり。島左近と佐和山の城」
島左近は三成の家臣として名高い武将であり、そして佐和山城は、それほどまでに優れた城だった。
つまりこの言葉は、「三成にはもったいないほどの名家臣と名城がある」という意味である。
それほど評価された城が、佐和山城だった。
関ヶ原の敗北と「消された城」
1600年、天下を決する戦い「関ヶ原の戦い」が起きる。
西軍の中心人物だった三成は敗北し、捕らえられ、京都六条河原で処刑された。
ここから、佐和山城の運命は大きく変わる。
勝者となった徳川家康は、三成の拠点だったこの城を徹底的に破壊するよう命じた。
ただの落城ではない。
「破城」である。
城を修復不能なほど破壊し、政治的にも象徴的にも存在を消し去る。
これは単なる軍事行為ではなかった。
三成の記憶そのものを歴史から消すための行為だったとも言われている。
名城と呼ばれた佐和山城は、この時ほぼ完全に破壊された。
現在、城跡には石垣がわずかに残るだけで、壮麗な城の姿を想像するのは難しい。
敗者の城は、ここまで徹底して消されたのである。
瓦礫の上に築かれた城
その後、この地には新しい城が築かれる。
それが彦根城である。
家康は関ヶ原の功績により、井伊直政に近江の地を与える。
しかし直政は1602年に亡くなり、実際に城の建設を進めたのは子の井伊直継と、のちに藩主となる井伊直孝だった。
彦根城の築城は1604年頃から始まり、約20年をかけて完成する。
ここで興味深いのは、その建設方法である。
彦根城の石垣や資材には、破壊された佐和山城の石材や建築資材が再利用されたと伝えられている。
また、彦根城の『太鼓門櫓』などは、佐和山城から移築されたものと伝えられている。現存する国宝の中に、消されたはずの敗者の記憶が今も息づいている。
つまり彦根城は、敗者の城の瓦礫を飲み込んで築かれた城でもあった。
これは単なる合理的な資材利用ではない。
敗者の痕跡を、勝者の城の中へ取り込んでしまう。
歴史の残酷さが、そこにある。
何も残らない山
現在、佐和山城跡を訪れると驚く。
そこには、ほとんど何もない。
山道を登り、頂上へ向かうと、石垣の痕跡や曲輪の形がわずかに残っているだけだ。
城の壮麗さは、ほぼ完全に消えている。
名城とまで称えられた城が、ここまで徹底して姿を消している。
それは偶然ではない。
三成の城を、歴史から消そうとした力が確かに働いていた。
敗者の城とは、ここまで消されてしまうものなのかと実感する場所である。
白亜の城
一方で、彦根城はどうだろう。
城下町から見上げる天守は、白く、美しく、誇らしげに立っている。
その姿は、まさに勝者の城である。
徳川政権の要となる譜代大名、井伊家。
江戸幕府を支え続けた家の象徴が、この城だった。
現在も天守は現存し、国宝として守られている。
敗者の城が徹底して消されたのとは対照的に、勝者の城は大切に守られ続けている。
この対比ほど、歴史の残酷さを物語るものはない。
それでも消えなかったもの
しかし、興味深いことがある。
城は消された。
だが、三成の名は消えなかった。
むしろ近年、石田三成は再評価され、多くの人に愛される歴史人物になっている。
彦根の町には、三成ゆかりの場所を訪れる人も多い。
佐和山城跡には、三成の銅像が立っている。
これは、民衆の記憶が完全には消えなかった証でもある。
城は破壊できても、記憶までは消せない。
敗者の残影は、静かに歴史の中に残り続ける。
二つの城を歩く旅
彦根城と佐和山城跡は、距離にしてわずか数キロしか離れていない。
しかし、この二つの場所は、まるで対照的な景色を見せている。
何も残らない山。
そして、白く美しい天守。
敗者と勝者の物語は、これほどまでに異なる形で歴史に刻まれる。
だが、両方を訪れたとき、ひとつのことに気づく。
歴史は勝者だけでできているわけではない。
敗者の痕跡があってこそ、勝者の物語もまた成立する。
彦根城を見上げるとき、その足元に埋められた佐和山城の記憶を思い出してほしい。
そこには、消されてもなお残る「敗者の影」がある。
それこそが、この場所が語り続ける歴史なのである。
- 参考文献・参考資料
- 彦根市公式サイト(彦根城)
- 滋賀県観光情報
- 小和田哲男『日本の城』
- 日本城郭協会
- 笠谷和比古『石田三成』
- 執筆者 日本の旅侍編集部(メディア) 日本の旅侍は知的旅〜オトナの城旅を城写真と共に伝える情報メディアです。日本全国のお城を都道府県別にご紹介。国宝天守・現存天守・復元天守・櫓・石垣・お堀などお城の様々な要素を写真共に伝えます。お城の歴史コラムもあり。 公式HP・SNSはこちら