野内花峰

助太刀屋十八番代表 野内花峰

―まず、殺陣を始めた経緯を教えていただけますか?
私が殺陣を始めたのは、3歳の時でした。当時父が殺陣専門の役者をしていて、見よう見まねで始めたのがきっかけです。
現在、父は今71歳ですが、京都撮影所や新歌舞伎座、御園座などの舞台で殺陣専門の役者を40年、現在は殺陣の指導を専門として活動しています。
本格的に私が父に弟子入りして殺陣の技術を学び始めたのは8歳の時でした。
殺陣ワークショップ風景1
―殺陣と言えば、男性のイメージがあります。実際に殺陣を始めたときにお父様の反応はどうでしたか?
そうですね、私が殺陣を始めた頃…子どもの頃は男性社会でした。
私が殺陣を見て感じていた心躍る躍動感や、立廻りのカッコよさ・勇ましさを、女性だからこそできる表現として自分の身体で体現したいと思ったんです。父には特に何も言われませんでしたね。
私は9歳で初舞台を踏みましたが、チャレンジ精神が豊かな私の背中を父が押してくれて、数々の舞台に出演させていただきました。
殺陣ワークショップ風景2 殺陣ワークショップ風景3
―殺陣の魅力はどこにあると考えていますか?
やっぱり殺陣の立廻りや燃え上がる迫力、またセリフがなくてもその場の空気を伝えられるところですね。言葉がわからない海外の人にも伝えることができるのもが魅力の一つです。
私は『残酷の美』と言っていますが、やはり残酷さの中にも美しさがあると思っています。本来、人を斬る・殺すという残虐なものですが、表現によってすっきり魅せたり、拍手したい・カッコいいと思わせる部分があります。
殺陣の立廻りや立ち振る舞いは芸術の一つだと感じているので、大事にしたいと思っています。
相手によって間合いも、動作も違う中、難しいですが空気を読んで何度も練習を重ねて形を作っていく面白さもあります。
―同じポーズ・動作をしていても人によって雰囲気が違いますよね。
殺陣は、スポーツではなく芸術です。その人にしか出せない味や雰囲気は、すごく大事な点だと思うので、形が綺麗なことが一番大事ではありますが個性を生かしていくのがいいんじゃないかと思います。
私が演じるときに今一番大事にしているのは、「美しい形」です。自分で自分の姿は見えないので、動作や、目線・目力…お客様からどう見えているかを常に意識しています。
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―助太刀屋 十八番を始めた経緯を教えてください。
「助太刀屋 十八番」の名前の由来は、私達の殺陣を見た方に「明日から頑張ろう」「すっきりした気持ちになった」等と思ってもらえる助太刀をしたいっていう思いで、まず「助太刀」という名前をつけました。 十八番は「やっぱり殺陣が私の一番得意な十八番」ということで、これらを組み合わせています。
私が「助太刀屋 十八番」を立ち上げたのはちょうど2014年です。見得を含む、古典的な殺陣を残しながら、「剣舞」「舞踊」を取り入れ バラエティ溢れる演出を実現したいという思いがありました。
―大阪で殺陣をされている理由は何でしょうか?
一番は私が生まれ育った場所であること、やっぱり師匠である父の元で修行ができることです。
あとはイベントも多かったり、劇場が多いので、こうした事情もあってやっぱり大阪で活動していきたいと思っています。
―ちなみに、殺陣をやめたいと思ったことはないのでしょうか?
実は、やめたいと思ったことは一度もありません。私は本当に心からこの殺陣を愛しているんです。時には、うまくできなくて悔しいこともありますし、ケガなどの危険も伴いますので神経をすごく使う仕事でもあります。
それでも、やっぱりお客さんからの拍手が励みになりますし、一度この快感を味わうと嬉しくてやめられません。
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―今後の目標について教えてください。
海外の人たちにSNSを通じて、より多くの方に殺陣の魅力を知っていただきたいです。
そして殺陣を知ったことをきっかけに、日本に来ていただけたらいいなと思っています。
現在、12カ国の方に指導させていただいていますが、全て英語でコミュニケーションをとっています。将来的に今教えている方が日本に訪れて一つの立廻りを一緒に完成させたいという夢も持っています。国籍関係なく、日本の侍になっていただいて一緒に殺陣を作り上げていきたいと思っています。
私の最終的な目標は、おばあちゃんになっても殺陣を続けて、世界中の人たちに「世界一の女剣士」と言ってもらえるようになることです。
―最後に読者へ一言お願いします。
大阪には多くの名所、例えば大阪城をはじめとしたお城や道頓堀など賑やかなところと、おいしい料理があります。殺陣も体験していただきたいですね。ぜひ、今回ご紹介した場所を実際に訪れて、素敵な時間を過ごしてほしいと思います!