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多賀水軍の築いた「丸子山城」跡
倉橋島の丸子山に築かれた「丸子山城」は、室町時代から戦国時代にかけて倉橋多賀谷氏が築いた水軍城です。多賀谷氏はもともと伊予の水軍で、倉橋島に拠点を構えました。大内氏と関係が深く、毛利元就と陶晴賢の対立の際は、大内晴英(後の大内義長)を擁立した晴賢方につきました。このため、天文24年(1555年)8月の毛利氏の侵攻で敗北し、丸子山城も落城しました。現在は本丸、二の丸、三の丸などの縄張りが残り、本丸付近には石垣の姿も見られます。
- 丸子山城跡
- 住所/広島県呉市倉橋町才ノ木