- 琉球王国貿易で栄えた
- 琉球王国とは 琉球王国とは、1429年から1879年まで、現在の沖縄県に存在した王政の王国である。 沖縄本島の南山・北山・中山に分かれていた三山時代を経て、中山王の尚巴志が統一して成立した王国である。
玉陵とは、沖縄県那覇市首里金城町にある、琉球王国第二尚氏王統の王陵である。1501年、尚真王が父・尚円王の遺骨を改葬するために築いた陵墓で、その後、第二尚氏王統の歴代国王と王族の墓となった。石造の墓室は中室・東室・西室の三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する場所、東室は洗骨後の王や王妃などを納める場所、西室は玉陵碑に記された限られた王族を葬る場所とされた。全体は当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物で、墓室前の石欄や外庭・中庭を区切る石垣、清めの意味をもつ珊瑚砂などに、琉球王国の葬送文化と王家の格式を見ることができる。沖縄戦で大きな被害を受けたが、1970年代に修復され、現在は世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として公開されている。
| 目的 | 尚円王の遺骨の改葬、第二尚氏王統の歴代国王・王妃・王族の埋葬、王家の祖先祭祀、琉球王国の葬送儀礼 |
|---|---|
| 特長 | 玉陵、たまうどぅん、第二尚氏王統、尚真王、尚円王、王陵、琉球王国、首里、玉陵碑、中室、東室、西室、洗骨、厨子甕、石造建造物、石欄、珊瑚砂、世界遺産、国宝 |
| 他の陵墓との違い | ・琉球王国第二尚氏王統の歴代国王と王族を葬った王陵である ・自然の崖を利用し、その前面に石造の墓室を築いた琉球独自の陵墓建築である ・墓室が中室・東室・西室に分かれ、洗骨を前提とした葬送儀礼の流れが構造に反映されている ・玉陵碑によって、葬られる人物の範囲が明確に定められている ・首里城周辺の王室関連遺跡として、琉球王国の政治・信仰・祖先祭祀を理解する上で重要な場所である |
| 別称 | 玉陵、たまうどぅん |
|---|---|
| 正式名称 | 玉陵 |
| 所在地 | 沖縄県那覇市首里金城町1-3 |
| 創建 | 1501年 |
| 創建者 | 尚真王 |
| 被葬者 | 第二尚氏王統の歴代国王、王妃、王族 |
| 主な構成 | 中室、東室、西室、玉陵碑、東の御番所、外庭、中庭、石垣、石欄 |
| 主な見どころ | 石造の墓室、墓室前の石欄、玉陵碑、珊瑚砂の敷かれた庭、琉球王国の王陵建築 |
| 文化財指定 | 国宝、国指定史跡 |
| 世界遺産 | 世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産 |
| 観覧時間 | 午前9時~午後6時(入場締切は午後5時30分) |
| 休館日 | 年中無休。ただし台風などの影響により変更される場合がある |
| 観覧料 | 大人300円、小人150円 |
| アクセス | ゆいレール首里駅から徒歩約15分。バス利用の場合は「首里城前」下車徒歩約1分、または「首里城公園入口」下車徒歩約5分 |
| 備考 | 玉陵は観光施設であると同時に、琉球王国の王家の陵墓である。首里城跡や園比屋武御嶽石門とあわせて見学すると、首里に集まる王国中枢の空間を理解しやすい。 |
| 1501年 | 尚真王が父・尚円王の遺骨を改葬するため、首里に玉陵を築く。玉陵碑も建てられ、陵墓に葬られる人物の範囲が定められる。 |
|---|---|
| 16世紀以降 | 玉陵は、第二尚氏王統の歴代国王と王族の陵墓として使われる。中室・東室・西室の三つの墓室を中心に、琉球王家の葬送儀礼が行われた。 |
| 琉球王国時代 | 国王が亡くなると、まず中室に遺骸を安置し、一定期間を経て洗骨した後、厨子甕に納めて東室などに移す葬送が行われた。 |
| 沖縄戦 | 太平洋戦争末期の沖縄戦により、玉陵は大きな被害を受ける。石造の墓室や周辺施設も損傷し、戦後に修復が必要となった。 |
| 昭和47年(1972) | 玉陵墓室石牆が国指定の建造物文化財に、玉陵が国指定史跡に指定される。 |
| 昭和49年(1974)頃 | 沖縄戦で被害を受けた玉陵の修復工事が始まる。3年余りをかけて復元修理が行われ、往時の姿が整えられた。 |
| 平成12年(2000) | 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として、玉陵が世界文化遺産に登録される。 |
| 平成30年(2018) | 玉陵が建造物として正式に国宝に指定される。沖縄県内では、建造物として初の国宝指定となった。 |
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| 王城 | 首里城 |
|---|---|
| 旧地域 | 琉球 |
| 主な国王 | 尚氏 |