- 琉球王国貿易で栄えた
- 琉球王国とは 琉球王国とは、1429年から1879年まで、現在の沖縄県に存在した王政の王国である。 沖縄本島の南山・北山・中山に分かれていた三山時代を経て、中山王の尚巴志が統一して成立した王国である。
園比屋武御嶽石門とは、沖縄県那覇市首里真和志町の首里城公園内にある、琉球王国時代の石造建造物である。守礼門から歓会門へ向かう途中に位置し、門の形をしているが、人が通るための門ではなく、背後にある園比屋武御嶽を拝むための「礼拝の門」として造られた。国王が城外へ出る際には道中の安全を祈願し、聞得大君の就任儀礼でも最初に参拝した場所とされる。木製の扉を除いて琉球石灰岩で造られ、日本や中国の建築様式を石造で表現した点が特徴で、屋根や棟石の装飾にも琉球の石工技術を見ることができる。沖縄戦で大きな被害を受けたが、戦後に復元され、現在は首里城跡などとともに琉球王国の信仰と王権を伝える世界遺産の構成資産となっている。
| 目的 | 国王の道中安全祈願、御嶽への礼拝、王国儀礼、聞得大君の就任儀礼、琉球王国の信仰空間の形成 |
|---|---|
| 特長 | 園比屋武御嶽石門、園比屋武御嶽、首里城公園、守礼門、歓会門、尚真王、御嶽信仰、礼拝の門、琉球石灰岩、石造平唐門、石牆、聞得大君、御新下り、世界遺産、国指定重要文化財 |
| 他の門との違い | ・門の形をしているが、人が通行するための門ではなく、御嶽を拝むための礼拝門である ・首里城の城門とは異なり、王国の政治空間と信仰空間を結ぶ場所として理解しやすい ・木製の扉を除き、琉球石灰岩を用いた石造建築として造られている ・日本や中国の木造建築に見られる意匠を、石造で表現している点に特徴がある ・国王の外出時の祈願や聞得大君の儀礼に関わり、琉球王国の王権と信仰の関係を示している |
| 別称 | 園比屋武御嶽、ソノヒャンウタキ、礼拝の門 |
|---|---|
| 正式名称 | 園比屋武御嶽石門 |
| 所在地 | 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目7、首里城公園内 |
| 創建 | 1519年 |
| 建立者 | 尚真王 |
| 造営関係者 | 西塘 |
| 主な構成 | 石造平唐門、左右の石牆、木製扉、背後の園比屋武御嶽 |
| 材質 | 琉球石灰岩。木製の扉を除き、石造で構成されている |
| 主な見どころ | 石造の門構え、屋根の曲線、棟石の装飾、唐草模様、火焔宝珠、鴟尾、守礼門から歓会門へ向かう参道上の位置関係 |
| 文化財指定 | 国指定重要文化財、県指定史跡 |
| 世界遺産 | 世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産 |
| 見学時間 | 屋外にあるため見学しやすいが、首里城公園の開園状況に準じる |
| 見学料 | 無料エリアに所在。ただし周辺の有料区域を見学する場合は別途料金が必要 |
| アクセス | ゆいレール首里駅から徒歩約15分。バス利用の場合は「首里城前」または「首里城公園入口」下車 |
| 備考 | 園比屋武御嶽石門は、守礼門や歓会門のような通行門ではなく、御嶽に向かって祈りを捧げるための門である。首里城跡、守礼門、歓会門、玉陵とあわせて見学すると、琉球王国の政治・儀礼・信仰の関係を理解しやすい。 |
| 1519年 | 尚真王の命により、首里城の外郭にあたる場所に園比屋武御嶽石門が築かれる。背後の御嶽を拝むための礼拝門として整えられた。 |
|---|---|
| 琉球王国時代 | 国王が城外へ出る際、石門の前で道中の安全を祈願した。王の外出と信仰が結びつく、首里城周辺の重要な拝所となる。 |
| 琉球王国時代 | 最高位の神女である聞得大君の就任儀礼「御新下り」でも、最初に参拝する場所とされた。王国の祭祀と深く関わる御嶽として重視される。 |
| 昭和8年(1933) | 園比屋武御嶽石門が旧国宝に指定される。琉球を代表する石造建造物として文化財的価値が認められた。 |
| 昭和20年(1945) | 沖縄戦により大きな被害を受ける。石門の一部が破壊され、戦後に復元が必要となった。 |
| 昭和31年(1956)〜昭和32年(1957)頃 | 琉球政府により復元・復旧が行われる。戦災で損なわれた石門が旧位置に戻され、現在見られる姿へと整えられた。 |
| 昭和47年(1972) | 園比屋武御嶽石門が国の重要文化財に指定される。御嶽信仰の遺構としての価値と、石造建築としての意匠・構造が評価された。 |
| 平成12年(2000) | 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として、園比屋武御嶽石門が世界文化遺産に登録される。 |
園比屋武御嶽石門と関連する事件を読む
| 王城 | 首里城 |
|---|---|
| 旧地域 | 琉球 |
| 主な国王 | 尚氏 |